泥田坊(どろたぼう)とは

妖怪「泥田坊」が現れるきっかけとなった人物は誰でしょう?

ようかい博士
ようかい博士
こんにちは。今回は泥田坊(どろたぼう)という妖怪についてのお話をしますね。
はい、博士!泥田坊っていう妖怪、畑に現れる妖怪のお話ですか?
知りたがりの子供
知りたがりの子供
ようかい博士
ようかい博士
そうですね。月夜の夜に現れて恨めしい声で叫ぶ妖怪なんですよ。
えっ、なんで月夜の夜に現れるんですか??
知りたがりの子供
知りたがりの子供
ようかい博士
ようかい博士
生きていた時に自分で一生懸命育てた田んぼを自分の息子が粗末に扱い手放してしまったせいで未練が残っているんだと思うよ。
えーっ!では息子さんのせいで妖怪になっちゃったんですか?気になるのでもっと詳しく教えてください。
知りたがりの子供
知りたがりの子供

泥田坊

昔、北陸の田んぼにこの妖怪が現れました。かつてこの地方に、貧しいながらも働き者の男がいた。まだ荒れ地だった頃から一生懸命働き、その甲斐あって米を収穫できるようになった。

年々収穫が増え、次第に普通の人と同じように暮らせるようになったが、男は病に倒れ、亡くなってしまった。

その男には子供がいたが、親と似ず怠け者で、父が苦労して育てた田んぼをほったらかしにした。そればかりか毎日酒ばかりを飲み生活していた。

やがて、その田んぼはある人の手に渡った。買い手は「本当にいい田んぼを手に入れた」と喜んだ。ところがある夜、田んぼの見回りをしていると、泥田の中から突然妖怪が現れ、「田んぼを返せ、田んぼを返せ」と叫び声が聞こえてきました!

その後、月夜になると泥田から怨嗟の声が聞こえるようになり、この妖怪は「泥田坊」と呼ばれるようになった。鳥山石燕の『画図百鬼夜行』によれば、この泥田坊は片目で黒い色をした老人であった。ただこれ以外の古い文献における伝承は確認されておらず、いくつかの解釈が存在している。

紀州藩医・品川玄湖が狂歌を通じて石燕と交流があったとされる有名な歌人「泥田坊夢成」にちなんで名付けられたと言われていたり、妖怪研究家の多田克己さんは、"泥田坊は石燕が言葉遊びから作ったもの "と言われています。

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